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守れ、原始の森。(オーストラリア、タスマニア州)

タスマニアには、ゴンドワナ超大陸時代から続く原始の森が広がっている。その偉大なる森も、当初の8パーセントを残すのみとなり、現在も木は伐られ続けている。原生林は何になり、どこに行くのか。森を残そうと各国から人々が集まっている。彼らの熱い思いは、オーストラリアの政策を変えつつある。

タスマニア古代原生林と、森を愛する人々の物語。
(写真、文 太田康男)

 


守れ、原始の森。(オーストラリア、タスマニア州)

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オーストラリア本土の南東に位置するタスマニア島には、手つかずの原生林が広がっている。ゴンドワナ超大陸時代から続く原始の森は、1億8000万年の歳月が育んだ古代温帯林である。この森には「原始のユーカリ」が生きている。ユーカリといえば、コアラがしがみついている細い幹を想像するが、タスマニアには、周囲6メートル以上にもなるユーカリの巨木がそびえている。その根元は深い苔で覆われている。樹齢400年を超える巨大な木性シダの「マンファーン」も森の豊かさを感じさせてくれる植物である。

 森を歩くと、クッションのようにふわふわと柔らかい。地中深く、森は水を抱え、地表は苔で覆われているからだ。木の根元から、ところどころ地中の水が溢れるように流れ出し、川に注いでいる。夕暮れ時の森は、私が一日のうちで一番美しいと感じる。特に川は、陽が落ちて夕闇に包まれる寸前に、赤みを帯びた石が輝いて見え、幻想的な表情を見せてくれる。タスマニアの川には、20センチ以上になる世界最大のザリガニが生息する。恐竜の生き残りのようなけたたましい声で鳴くのは、「コッカドゥ」。羽を広げると1メートルにもなる大型の鳥だ。
陽が落ちてからは、小型有袋類「ポッサム」が木の上で、ジージーとファスナーを上下するような声で鳴きはじめる。「ワラビー」の親子が現れて、私を驚いたように見つめてから、ゆっくり去っていった。
 私は山の奥に向かう途中、いくつもの伐採地を通った。森のはずなのに木が一本もない。山一つ分まったく木がないはげ山も見える。最も新しい伐採地では、真っ黒焦げになった木々がまだくすぶっていた。タスマニアでは、クリアーカットした後、土地を焼き払う。もともとここで育っていない種類の樹木やユーカリを植えるためだが、その焼き方も問題になっている。山の麓の村に住んでいるジェニー・ウエバーさんは「ヘリコプターからナッパーム弾のような爆弾を落として山を焼き払います。その煙はもちろん村にも流れてきます。村では、息もできない状態になるのでその時は学校も閉鎖です。喘息になった子供もいるんですよ」と話す。焼き払った山には、ユーカリの苗を植えるが、その苗木をワラビーやポッサムなどが食べてしまうのを防ぐため、毒入りのニンジンがまかれる。多くの動物たちが犠牲になっている。
 タスマニアに伐採の手が入ったのは1800年代。英国による植民地化とともに開発と伐採が始まった。当時は舟や家を作るために必要な量だけ「択伐」していたが、より多くの木を伐採する「皆伐」(クリアーカット)に変わっていった。「簡単な方法で、たくさんのお金が入ってくる」クリアーカットは経済効率を優先した結果だ。
 開発と伐採により、タスマニアの森の原生林は減り続け、現在では当初の8%を残すのみとなった。伐採された木のほとんどは製紙用木材チップになり、そのうち年間560万トンを超える木材チップが日本に輸入されている。
 ブレリュー・バラットさんは、祖父の代から森の麓の集落に住んでいる。子供のころから、森は生活の一部。「レザーウッド」という木の花からミツバチが集めた蜂蜜で育った。
「ユーカリには下枝がなく、空に向かって真っ直ぐに伸びた幹の先にある樹冠には神が宿っているようです。そこから私たちを見守ってくれています。私たちは森とともに生きてきました」プレリューさんは、森を残してほしいと訴える。地元の人だけではない。2006年10月に訪れた時には、森の奥に続く伐採のための山道は、各国からやってきた人々によって封鎖されていた。アイルランドから来たアニーさんはキャンプ生活をしている。「この森は特別です。すでに人類は多くの森を失ってきました。これ以上同じ過ちを繰り返してはいけません。人々が集まったら力になります」
ユーカリの巨木の上、地上40メートルに、プラットホームと呼ばれる仮設テントを作って樹上生活する人もいる。木を伐らせないようにするためだ。スチュワート・プリムローズさんもその一人。3年前に帰郷した際、自然がなくなってきている事を知り、ショックを受けたスチュワートさんは、プレリューさんたちが始めた森を守る運動に参加したという。スチュワートさんは言う。「すぐ近くまで伐採道路は来ていました。これ以上伐採させないために、道路が進む先の木にプラットホームを作りました。樹上の生活は鳥の家みたい。鳥ともすっかり友達です」
 森を守るために奔走しているピーター・プリンゲーさんの本業は歯科医。本業そっちのけで、政治家や企業の関係者など多くの人に森を案内している。
森を案内する時には、必ず伐採地にも案内するようにしている。案内された人は森の豊かさに感銘を受け、同時に伐採現場の現実に絶句すると言う。ピーターさんがこの運動を始めたのは、森林保護活動をしていた大学生の息子に影響を受けたからだ。ピーターさんは語る。「日本の皆さんに訴えたい。皆さんが使っている紙がどこからきているのか考えてください。紙を使うなとか、伐採会社や製紙会社に、紙を作るなと訴えているわけではありません。植林された木のチップからできた紙を使ってほしいのです。原生林を切らないでほしいのです。原生林材から作られた紙を使わないでくださいと言っているのです」
 初めのうちは、道路に作ったバリケードは警察に撤去され、多くの逮捕者を出した。しかし、その熱心さは序々に人々を動かした。政府の政策をも変えさせて、ある森の伐採を中止させた。森を愛する人たちの声は、届きはじめている。タスマニアの人たちの声は、消費者である私たちひとりひとりの意識のあり方を問いかけている。
 



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